5月15日

5月15日金曜日20時から

ZOOM による講演会をやろうと思っております。

この会の名前は未だ決まらず。

 

すまトーーーク

すまこの部屋

 

などのアイデアが出てはいますが、今一歩。

これも決まり次第お伝え出来たら。

 

この会はもともと僕の英語の先生が学者さんだったのが始まりです。

論文を聞かせてほしかったんです。

さらに言うと、推しの学者さんがいるっていいなとも。

学者さんがもっと身近な存在になることに可能性を感じて、学者さんが活躍するのが学校とは限らないのではと思っていたのです。

まさかこんなにも学者さんがいろいろなメディアにひっぱりだこで、おしゃれで、アイドルかスターみたいな時代がこんなにも早くやってくるとは思ってもいなかったわけですが。

このちょっとした興奮状態の社会でやるのは、実はちょっと違うなとも思っているんです。

こんな状況になる前、僕は先生たちに心を動かす講演をしてほしい、理解させようとしないで、とお願いしました。

意味は全然分からなかったけど、妙に心になにかひっかかる、そんな講演をして欲しかった。

果たして今それが必要でしょうか。

ざわつくこの社会で心をこれ以上揺さぶる必要があるだろうか。

 

おなか一杯じゃない?

 

と思っているのですが、英語の授業が予想以上にいい。

僕の精神安定に非常に役立っている。

軽い鬱状態になってもおかしくないのに。

 

英語の授業はスパルタだ。

和英辞典は禁止され、グーグルでの検索も禁止だ。

その中で理解できない先生の英語を聞く、何かを僕に伝えようと真剣だ、でもさっぱりわからない、困る、でも何を言っているのか理解しようと相手の顔をただひたすら見つめる、知っている数少ない僕の英単語を駆使し、間違っているのだけは理解しているがそれでも無理やり言葉を絞り出し先生に伝え、それをまた先生は真剣に受け止め、そしてまた僕が理解できない英語を返してくる、もしくは同じ英語を繰り返してくる、先生は僕の英語を期待していない、僕の心の奥にあるものを見つけ出し絞り出すことを望む、なぜなら先生は、掘り下げ続けているから。

 

深く深く自分の心を掘り下げ、なぜそう思うのかという一つのかけらを先生は僕らに見せてくれるだろう。

僕らはそれを見つめ、意味は全然分からないが、先生は真剣にそれを伝えようとしている。

やがて沈黙が訪れる。

その沈黙は悪くない。

むしろ必要だ。

心の深いところに手を入れるチャンスであり、またトイレに行くチャンスでもある。

便座に座りながらすっきりしたはずなのに、心になにかひっかかりを感じてくれたら、それでいい。

 

それが妙に心に効くようだ。

 

 

 

 

 

なもんで、とりあえず一回やってみよ。

参加方法はまた今度。